洗心町

昭和12年から16年にかけて青海川に沿って左側に洗心町、右側に稲荷町・弥生町に297戸が建設されましたが、その規模は木造瓦葺2階建14.75坪6畳6畳3畳の3部屋でした。また職頭用では16.25坪8畳6畳3畳でした。工場仲間ではこれを「新社宅」と呼び昔からの平屋建てを「旧社宅」と呼び合っていたそうです。
 昭和20年頃、洗心町・稲荷町などの2階建社宅を例にとって見ても月額で社宅科120銭入浴料50銭 電気料70 合計で2円40銭でした。旧社宅では合計1円62銭でした。これが戦後ずっと続いていました。
 昭和31年4月から町は住民サービスのため祉宅係事務所の一隅で徴税・戸籍・転出入・相談どとなどの事務を開始、6月から洗心町第十分団詰所に移転しました。この建物は工場がつくり町へ貸与したもので、ここには常設消防として大型自動車ポンプ一台が配属されていました。
 鉄骨製11.85メートルの望楼もここに設置されました。この望楼は今も見ることができます。


 人口  166世帯 762人   (昭和35年)


陸橋からの洗心町